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第7日  海老名〜厚木(その1)     

                                歩いた距離 12.3km  2002.08.17

 前回は海老名まで行ったが、郷土資料館の「温故館」が休館であったことと、
国分寺への旧道がもう一本あるようなので、相鉄線のかしわ台駅で下車して歩き始める。

yagu07-01.JPG  前回の海老名市と綾瀬市の市境の道からかしわ台駅の
方への道が分岐している地点、大塚本町まで戻る。
 この道も住宅がびっしりと並んでいるが、
曲がり方や道幅は旧道の感じである。

yagu07-02.JPG  家の前にはお盆の送り火の跡が残っていて、
造花で飾った横にナスとキュウリでつくった馬が
置いてある。

yagu07-03.JPG yagu07-04.JPG  柏ヶ谷小学校があり、
「オ(おはよう)、
 ア(ありがとう)、
 シ(しつれいします)、
 ス(すみません)」という標語
道に掲示してある。
 押しつけの感じがしなくて、
楽しい感じである。

yagu07-05.JPG  相鉄線に沿って行くと住宅や工場のある道から、
畑の中を通る道を行く。
 小高いところに文化13年(1813)の庚申塔が立っている。
 道標を兼ねていて「南 ふじさハ ゑのしま かまくら
 西 阿つぎ 大山道 東 江戸」と書かれていて、
ここが交通の要衝であったことを示している。

 緑の多い切り通しをぬけると、道角の小さな稲荷社の前に庚申塔と道祖神がある。
 双体道祖神は建立された年号は読めないが、
おだやかな表情で柏ヶ谷村の講中の人たちの願いが伝わるようだ。

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 目久尻川に沿った道を行く。

 小さな祠があるだけの
山王稲荷神社がある。
 そこに大正12年(1923)の
関東大震災で壊れた
石の目久尻橋の一部が分解されて
置かれている。

 広い横浜・厚木線にでると目久尻橋で、その先が前回見た「史蹟逆川」の碑がある
ところで、そこにも壊れた目久尻橋の一部が置かれている。

 国分寺跡で前回休館であった温故館に行く。

 見学者が私たちだけであったので、館員がわざわざ展示室の中を説明してくれる。
 冷房がなく、団扇が用意してあって、どうぞ使って下さいといわれてビックリ。

 相模国分寺の模型や出土品の瓦、市内の遺跡の説明をうけた。

 平成9年に入館したときも丁寧な説明を受け、その時初めて板碑を見たことを思い出した。

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 逆川の船着き場の位置を館員に訊ねたが、はっきりしなかった。

 国分尼寺の方へ行くと、「逆川」のバス停から斜め左の細い道があり、
これが川を暗渠にしている道のようである。
 その先が行き止まりになっていて、そこに石垣が組んであるので、
この辺りが船着き場であったかと勝手に思う。

yagu07-11.JPG  温故館の近くの旧道にもどると、樹齢560年という大ケヤキがある。
 「かつて、この辺りが相模湾の入り江であった頃、
船つなぎ用のケヤキの杭が根づいて、大ケヤキになったと
言い伝えられたもの」という。

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 海老名駅前に行く。駅前の開発でビルが建ち並んでいる。

 かつては、駅前の公園に国分寺の七重の塔が復元されていて、
目立っていたが、今は道を一本駅の方へ入らないとわからない。
 ビルに囲まれて小さくなった感じである。

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